豪雨災害復旧ボランティア

9月14日、栃木県鹿沼市の加園地区へ、豪雨災害の復旧ボランティアに行って参りました。偶然にも米軍横田基地の消防部隊から50名を超える若者が来ており、活動を共に致しました。横田基地の消防部隊の方々、仕事で来たのでは無いのです。志願して来られたのだとのこと。メンバーのひとりが子ども時代に鹿沼市で8年暮らしたことがあり、休暇を取りボランティア隊が編成された、との事でした。

栃木のこの地区の被害は、土砂崩れや増水による土砂の流入。田畑も被害を受け、小学校の近くの山は崩れて、麓のスケートリンクは人力ではどうしようもないほどの土砂と倒木が一面に。NPO団体が重機を扱いながら、どうにか元に戻そうとコツコツと作業をしておられました。

この日、私達が取り組んだことは、

・住宅の裏庭の土砂をまとめて、土嚢袋を作り、土嚢で壁を作り堰き止める。

・田んぼに流入した土砂を取り除きながら、崩れた畦を整えてトラクターの入り口を作る。

・住宅の庭に入り込んだ大量の土砂をひたすら掻き出す。

ボランティアセンターに寄せられたニーズの中から、この3つの作業を行いました。

泥は粘土のように粘り、重く、作業は難航します。しかし、横田基地の若者たちは、本当に休まない。且つ、汚れることなど本当に厭わないのです。スコップより手の方が良いとみると、泥の上に這いつくばって、泥を手で掻き出したり、畦道を丁寧に整えたり。真剣で、テキパキとこなして行きます。

互いに冗談を交えたり、チームワーク良く、活動をすることが出来ました。力仕事でしたから、体力的にはかなり限界ではありましたけれども。次の日は、朝から南下しながら茨城県は常総市に向かいました。

ボランティアを募集し、作業が始まったという情報を得たからです。

しかしながら、近隣市町村のみの募集という条件だったようでした(向かってから、分かったのですが)。混乱を避けるには、賢明な条件だと思いました。

なぜなら、実際に向かってみると中々近づけないのです。ボランティアセンターに向かうにも、全面通行止めの道路や車の列。被害の甚大さに唖然とするばかり。

道路に積み重なる水害に遭った家財道具や、それを片付ける住民の方々……。物見遊山に来たと思われてしまったかもしれません。

それくらい、車では思う通りにはならなかったのです。ボランティアセンターにたどり着くことは困難と判断し、現場を離れることを決め、帰路につきました。直接ボランティアを行うことだけが支援ではありません。長く関心を持ち、少しずつの寄付をして行くことが大切であるということを、もう既に私達は知っています。

当たり前のことではありますが、被害の大小に目を奪われ過ぎず、現地のニーズに耳を傾け、手の届く範囲から皆で支援をしていくのが重要だと、私達は考えています。

(記事:野村)