タイ研修旅行レポート2

今回の研修旅行は私にとっては初めての東南アジア訪問であり、現地のことがほぼ分からぬままの訪問であった。そんな中全体を通して感じたことは仏教がタイの人々に深く根付いていて、タイの人々の信仰の篤さも日本以上であるということであった。話には聞いただけでは理解しにくいものであったが、実際に現地に行き見聞きすることでその一部を感じることができたのではないかと思う。

現地を案内していただいた神田師の托鉢を見学させていただいたが、当初考えていた物と違い、驚かされる点が多かった。今まで、高野山専修学院での托鉢をはじめ、青年会や区仏の托鉢に参加させていただいたが、それとはまったく違うものであり、私なりに思うところがあった。

まず感じたことは、タイの人々からの篤い信頼を受けているからこそこの托鉢は成り立っているのという点であった。タイの人々から篤い帰依と信頼を得ているからこそ喜捨していただけるのであり、毎朝続けることができるのではないかと思う。日本ではこのような形での托鉢は行わないが、檀家さんや一般の人々との関係を築くうえでは通ずるものがあると改めて感じた。

普段当たり前のようにお檀家さんと接しているが、それは私たち僧侶やお寺を信頼していただいているからこそこのように接していただけるのである。その信頼を今後も維持していけるように精進しなければいけないと、托鉢見学を通じて改めて考えるきっかけとなったと思う。

托鉢以外にも様々な寺院を拝見させていただいたが、特に印象深い寺院は、サンティアソーク寺院であった。寺院内が原生林を模したような作りになっており、他の寺院とは違うのも印象深かったが、その原生林のような寺院内で日々精進するという一種のロールのような方法で実践していくというやり方に、神田師の「人が造った物」という一言が引っかかる点もあったが、何か共感できるようなものを感じた。

形はどうあれ経験や実践することは大事であると私は考える。今回のタイも話には聞いているが「実際に行ってみないとわからない」と思い参加させていただきました。サンティアソーク寺院のような形追体験をするというのも賛否両論あるとは思うが大事なのではないかと思う。

今回の反省点としては、一連の行程を通じて色々と感じるものがあったが、同行の神田師になかなか聞けなかったこと、寺院の建物や現地の人々の生活などに目がいってしまいがちであったことが挙げられる。もうちょっと神田師の話を聞けたら、また違う形で何かを得られたのかもしれない。

最後に今回のタイ研修を通じて感じたことは一言に言い表せられないものであった。また、1度だけではまだまだ分からないので、何度か行ってみてもうちょっと長い時間をかけてタイの空気に触れればまた何かを得られるのではないかという気がしてならない。もし、機会があるならばもう一度訪れることができればと思っている。