6月15日、延命寺にて降誕会が執り行われました。毎年の事ですが、法会はもちろん延命寺のお檀家様方によるご詠歌、そして今年は桂宮路師匠による落語もあり、30℃近い暑さと逗子の強い日差しにもかかわらず、大変な賑わいようでした。引金に導かれて入堂・着座し、飯島君の讃頭にて法要が始まりました。
私は青年会に入れて頂いてまだ数年の若輩者ですが、それでも入った当時、理事会や行事に行くと必ずいらっしゃった先輩方の多くは、すでに賛助会員になられております。この法会の面々を見回しても、5年前に中心となって動いていた方は決して多くはありません
譲られて、任されたという緊張感。そこに気づいた途端に、外陣からこちらへと注がれる沢山の視線が気になり始めます。
諸先輩方が立ち上げ40年間続けてこられた青年会を、あなどられたくない。上手くはないかもしれないが、せめてしっかりとお勤めしなければ、という気持ちが湧いてきます。お大師様と向かいあって、感謝と決意を新たにしなければ…。今の青年会が無ければこの法会はこのメンバーで厳修される事はありませんでしたし、同輩・先輩・後輩とこれほど深く付き合う事もなかったと思います。その青年会は、お大師様が真言宗を世に広めなければ結成される事もなかったし、また、そのお大師様ですら、お釈迦様がお産まれにならず成道もしなければ…と考えてきますと、降誕会の尊さが身にしみます。本当に有難いご縁、2500年分のご縁を頂いているという事を、降誕会に限らず灌仏会・先師忌など偉大な先達に思いを馳せる機会がある度に実感します。
お大師様、2500年分の重圧を分かち合える縁を持った仲間と出会える機会を与えて下さった事に、心から感謝致します。