日航機墜落事故30年 御巣鷹山慰霊登山

夏がくれば思い出す……。皆さんにとって、夏が近づくと思い出す事は何でしょうか。

仕事の事、夏休みの事、学生の方は宿題をどうするか、などでしょうか。私も、今年も暑いんだろうなとか、お盆の時期だなとか、その辺りは一般の方々とそう変わるところは無いのですが、もう1つ、私には特に忘れられない事が有ります。それは、日航機御巣鷹山墜落の事故の事です。<br><br> 私は当時5歳でしたが、事故当時の山が燃えている映像を今でも鮮明に思い出します。私の周りでこの事故に巻き込まれた方はいませんが、何か心に引っかかったまま今まで過ごしていました。そんな時、群馬青年教師会の方から「30年の節目として慰霊登山を行いますので、ご参加いただけませんか」とお誘いを頂き、これも何かの縁と思い参加させて頂きました。神奈川からは私を含め3名。東京、相模、栃木、群馬青年会の皆様、また高野山真言宗青年教師会の現会長、山本智弘様も自坊の仕事を前日に控えた中、遠く北海道の地よりご参加賜りました。

前日までの雨の影響で御巣鷹山まで登れるかどうか分からない状態でしたが、当日は何とか天候に恵まれ、御巣鷹山慰霊碑の前まで参加者全員で登ることができました。無事に慰霊碑の前で参加者全員による慰霊法要が出来た事は、私には何よりも嬉しく、感慨深いものとなりました。一緒に登った皆様もまた、そう感じておられるのでは、と思います。毎年この日が近づくと特別番組が放送されております。私も毎年見続けていますが、番組内で今年は特に慰霊登山される方が多い、とのコメントがありました。その中には当然遺族の方々もいらっしゃいますが、その事故を知っていても、私のように今まで慰霊に来られなかった方々も多く含まれているそうです。「御巣鷹と聞いて何を思い浮かべますか?」と街角でインタビューをした様子が、番組の冒頭で放映されておりました。しかし、その名称を聞いて今の十代の若者は全く知らなかったようです。私からすればなんで知らないのだろうかと首をかしげてしまいますが、知らなくて当然なのかもしれません。私たちが戦争の事を詳しく知らないのと同じことなのでしょう。

番組の中では去年、ボイスレコーダーに録音された音声を公開しました。今年はそれを含め、事故当時の飛行機の状態を細かく伝えておりました。

尾翼を失い油圧系統もすべてダウンし、完全に操縦不能な状態でダッチロールやフゴイド運動を繰り返していたそうです。そんな中、機長を含む3名は左右のエンジン出力を調整し、また着陸装置を降ろす事で空気抵抗を増大させ機体の安定化を図り、フゴイド運動の軽減と、高度を下げることに成功したそうです。

しかし、ダッチロールの軽減と針路のコントロールは不能のまま。最終的には山肌に1度当たった際に片側のエンジンが脱落。再度当たった際に残りのエンジン及び左右の羽が吹き飛び錐もみ状態でまっさかさまに墜落したとの事でした。字にして書いてみればこれで終わってしまいますが、当時この便に乗られていた方の状況と死への恐怖は計り知れないものがあったと思います。

御巣鷹山慰霊碑の前、またそこに至る道は登山道も整備され慰霊碑の前もきっちりと整備されていますので、事故直後の姿は垣間見る事は出来ません。しかし、事故当時に道なき道を歩いて救助に向かわれた方々の苦労は凄まじかった事でしょう。また、現場は地獄絵図だったと当時救助に当たられた方もおっしゃっていました。起きてしまったことに対して今何を言ったところで過去は変わりません。しかしながら、この事故以降飛行機の整備マニュアルも改善され、この事故があったからこそ大惨事を免れている事故もあると聞いております。

近年、飛行機事故が多発しており、副操縦士がわざと山に激突させるような悲惨な事故もおこっております。どんな事故であれ、この様な悲惨な事故が繰り返されないことを、飛行機を利用する者として切に願うばかりです。

(記事:入谷)