この度、我々神奈川青年会は松の内では御座いましたが、令和を題とした第23期根幹事業として、宮家の御遺跡を3日間まわらせていただきました。初日の京都では2カ寺の御遺跡、泉涌寺、教王護国寺(東寺)とその塔頭寺院であります観智院にご縁があり参拝させていただきました。
泉涌寺は、御寺と呼ばれ皇室の菩提寺として孝明天皇までの天皇陛下のお墓があるそうです。今は真言宗泉涌寺派となっておりますがその歴史は古く斉衡3年、左大臣藤原緒嗣が、自らの山荘に神修上人を開山として草創し法輪寺と名乗っていたそうです。後に仙遊寺と改めたあと字が変わり泉涌寺となったそうです。その後、五宗兼学の道場とさかえ貞応3年後堀河天皇により皇室の祈願寺となりましたが、廃仏毀釈により陵墓は全て国家に没収されてしまい、宮内省(現・宮内庁)諸陵寮の管理下に置かれることとなり、以後は天皇・皇后の葬儀を行うことはなりましたが、今でも泉涌寺だけは参拝という形(他寺院は正しくは行幸)を取るそうです。
そのような歴史を持つ泉涌寺様のご厚意で、泉涌寺内の霊明殿にて一座の法会をさせていただくことができました。午前中の訪問と言いうこともありお忙しい中お時間をいただけました事ありがたく思います。
午前中に泉涌寺を後にし、午後から教王護国寺にて後七日御修法の後拝みをさせていただきました。後七日御修法とは、真言宗最大の行事で1月8日から7日間教王護国寺にて真言宗18本山の猊下や高僧が集まり国家の安寧を祈る行事です。
その修法の後を参拝させていただけるわけですが、潅頂院内には堂内西側に金剛界曼荼羅、東側に胎蔵曼荼羅を安置し、それを一年交代で本尊として修法します。他、息災護摩壇・増益護摩壇・五大尊壇・十二天壇・聖天壇・神供・観音壇等を設け、各配役を担う高僧方が同時に修法されるので、我々にとって研鑽の場としてもとても有意義な場となりました。
また、東寺塔頭寺院観智院こちらもご縁があり参拝させていただくことができました。観智院は、徳川家康の黒印状に真言宗一宗の勧学院と書いてあるそうです。勧学院とは、勉強のための寄宿、今で言うところの寮生活をおくっていたところで、真言僧が事相教相を学んだ場所だそうです。本尊は虚空蔵菩薩様。まさに知恵の宝庫だったことがうかがえます。他にも、宮本武蔵の絵図やお茶室など京都ならではの文化も覗き見ることができ大変勉強になりました。