タイ研修旅行レポート1

今回の旅行の目的は、バンコクで上座部仏教の世界に身を置いて修行されている神田僧正に実際にお会いし、僧正と共に行動させて頂くことによって、若い青年教師会の人達に何かを感じ取ってもらおう、というものである。

神田僧正は、高野山大学大学院博士課程を修了された後、バンコクの日本人納骨堂の堂守になられ、バンコクでモンクとしての生活を三年以上されてきている方である。いわば、日本とタイ、二カ国の僧侶を実際に経験されている方、ということだ。日本とタイの仏教の在り方の違い、人々から求められている質の違い、また戒律の有無等、実際に違いを熟知されている方から我々が学べることは多いに違いない。それは、参加者一人一人の視野が広がるきっかけになるのではないか、という考えから今回の旅行を企画した。

このときのタイの情勢は不安定なところがあり、我々が滞在していた期間は軍から「戒厳令」が出され、夜間外出禁止令が発令されている時期であった。日本企業の多くが自社の社員をタイに派遣することに慎重になっていたこの時期に、九人もの青年僧がこの企画に参加してくれたことは感謝に堪えない。

滞在期間が実質二日間しかない今回の旅行、参加者には少しでも長く神田僧正と接してもらい、積極的に会話・質問をしてもらおう、そのことを念頭に計画を立てた。

我々は朝四時半にホテルを出発し、バスで神田僧正の居られるワットリアップ(日本人納骨堂)へ移動した。

僧正へ各自挨拶と自己紹介を終えた後、僧正は托鉢に出発され、我々も同行させて頂いた。まだ早朝五時過ぎだというのに、もう街中には僧侶を待ち続けて待機している人達が大勢いた。

彼らはあらかじめ水や食料等をビニール袋に小分けしておいて、自分の前を通り過ぎる僧侶に一袋づつ布施をしていた。彼らはまず僧侶に食料を布施した後、合掌をしたまま頭を深く下げ、または跪き、僧侶から真言を唱えてもらう。

この真言はパーリ語であり、内容は、その人の心の安泰と平和を願い、またその人が日々懺悔していることを仏も認めていますよ、というものだそうだ。

また、タイは正規に拳銃の所持が認められている国である。その為、商店街には多くの銃砲店がある。そういった武器を扱っている店の店主の方が、他の商品を扱っている店主よりも率先して僧侶に布施をしているところが印象的であった。神田僧正曰く、自分が売った商品で人が殺められているという事実を受け止め、そしてその懺悔として彼らは率先して布施行を行なっているのだそうだ。

タイの仏教には、回忌法要というものがない。人は亡くなるとすぐに他の生命として生まれ変わる、と考えられているからだ。そして、前世で多くの徳を積んだ人が現世で社会的地位の高い、金銭的に豊かな親のもとに生まれ変わっていると信じられている。

タイには固定資産税や相続税といった税制度がない為、金持ちの家庭に生まれた子供はかなりの高い確率で将来金持ちになり、また貧しい家庭に生まれた子供は、たとえ、ずば抜けた才能があったとしても将来の可能性に制限がかかってしまう。それもこれも全てが自分の前世のおこないの結果である、とタイ人は考えているそうだ。

神田僧正にワットパクナムという寺院に案内されたときに目にしたことだが、その寺の建物自体は大理石で造られており、中にはエメラルドで造られた巨大な仏舎利塔のオブジェが展示されていた。一言、贅沢な寺、という印象を受けた。だがその寺の周辺一帯は貧しい人たちが住むスラム街であった。スラムに住む貧しい人達は今の貧しい生活を強いられながらも、来世はよりよい環境の元に生まれ変わるということを信じ続け、その寺に喜捨をしているそうだ。よりよい来世の為の、我慢の現世と捉えているのであろう。

当然、僧侶は人々から尊敬されていると同時に衆人環視の中で生活しなくてはいけない。戒律を破った僧侶はたちどころに新聞に掲載され、名前も公表され即、還俗させられる。「戒律を守り、制限された生活さえしていれば、あとは比較的自由ですよ。」と神田僧正は笑いながら言う。個人的に物を所有せず、人々からの布施だけで生活していく。僧侶は物欲を持たず、仏に仕えた生活を送り、また人々はそういった僧侶に布施行をすることによって、自らの徳を積む、そういったシステムが出来上がっているのだ。

だが中には、そんな現代のタイ仏教でさえ生ぬるいと感じ、本当の仏道ではないと批判している寺院もある。そういった考えを持った寺院に我々は立ち寄った。名前はサンティアソークといい、本当に三衣一鉢だけで生活をしている僧侶達がいる寺である。僧侶達が生活している寝床(勿論屋外である)を覗いてみると、そこはただの板の間で壁も窓もない、まるで櫓のような物であった。中には歯ブラシと目覚まし時計と水のペットボトルだけしかなかった。彼らの言うところの真の仏道を求めている僧侶達がこの寺に集まって来ているのだ。

だがその一方、彼らは寺院を存続させる為の大きな葛藤を抱えていた。この寺には巨大なスポンサーが付いていて、テレビのチャンネルを一つ所有しており、それを媒体に彼らの思想や活動を全国に配信している。寺院を存続させる為には金銭的援助が必要になってくる、それがそのうち援助してくれるスポンサーの意向に寺が従わなくてはいけなくなってきて、結果、寺院活動自体が本来の彼らの思想や目標からどんどんかけ離れていってしまっているというのだ。

同じ「仏教」でも国が違うとここまで違ってくるものなのか、と今回参加して頂いた青年会員の人達も感じて頂けたのではないかと思う。日本に帰れば今までどおりの生活が我々を待っている。

我々はタイの僧侶のスタイルを真似することは出来ないし、檀家さんや信者さん達からもそのようなことは求められていない。だが、今我々日本の僧侶が置かれている現状が当たり前で当然、またこの状況が一生続くと思い込むことはとても危険ではないだろうか。そこで一旦外へ出て、外の国を見、肌で感じ、改めて外から内(今の日本の我々の現状)を見るということは、新たな発見と柔軟な発想を引き出せるよいきっかけとなり、またヒントを得られるチャンスになると感じているのは私だけであろうか。

今回のような旅行からは直接的に得られるものは何もないと思えてしまうかもしれないが、「実際に見て感じた」というのと、「本で読んだから知っている」というのとでは雲泥の差があると私は思っている。私は、今回参加してくれた青年会員の人達と現地で一緒に観たこと、共に感じたことを大切にし、これからの自坊での法務に勤しんでいこうと思っている。

また残念ながら今回参加出来なかった会員の人達にも、是非神田僧正の話を清聴してもらい、生活の糧にしてもらえたら、と切に思っている。神田僧正は6月末に日本人納骨堂の任期を終えられ、帰国される予定である(6月中旬現在)。今期中に何が何でも僧正に講演会を開いて頂き、一人でも多くの青年会員に傍聴してもらって初めて今回のタイ研修旅行が成功したと言える、と私は考えている。