第1回 弘法大師足跡巡礼の旅(2日目)

14日は今回の宿坊とさせて頂いた西門院様を午前8時に出発しました。

当初の予定では、「下りなので、だいたい5時間くらいあれば慈尊院まで到着できるのでは」と考えていたのですが、実際はそう上手くいきませんでした。

山歩きの経験がある方々ならご存知のように、膝や腰に負担が多くかかるのは、登りよりも下りの方です。



また、今回は慣れない山道を地下足袋で移動するので、足首や足の裏にもダメージが多くたまります。


足が擦れて、靴ズレやマメなどに悩まされた参加者も少なくありません。


怪我等にも注意を払って移動していたため、予定時間よりかなり遅れて丹生都比売神社に到着することになりました。

神社では、宮司様より昼食のお接待を受けた後、神前にてお祓いと祈願を神職の方にして頂き、会長が玉串の奉納を行いました。その後、ご法楽として般若心経を読誦し、鷲雄春成師が声高らかに慶讃文を奉読しました。



普段は拝観できないという宝物館にも、今回特別に入らせて頂き、そこで宮司様より高野山と丹生都比売神社の関係を教えて頂きました。歴史の中で、長きにわたり神職と僧侶が共に生活し、この神社を守ってきた縁で、現在でも続く高野山との強いつながりがあるのだということが分かりました。

丹生都比売神社を出発し、後はひたすら慈尊院までの道を急ぎました。山道を抜けると目の前には紀ノ川と九度山の街並みが見えてきます。ここまで来れば、後は急な坂道を下るだけです。この下りは、以前慈尊院側から町石道を登った時にも苦労したので記憶があり、あと少し、もう少しだと自分に言い聞かせながら歩き続けました。

丹生都比売神社から慈尊院までの行程では、入谷会長の健脚ぶりが遺憾なく発揮され、通常2時間かかると言われている距離をものの1時間で踏破し、無事に16時には慈尊院へ到着することができました。慈尊院でもご法楽を上げさせて頂き、慶讃文の奉読をさせて頂きました。


道路が整備されていない時代は、この大変な道を通って多くの方々がお大師様に会いに来られ、また様々な想いを胸に、この道を通って帰路に就かれたのでしょう。今回の行脚は、その事を多少なりとも実感できる良い体験になりました。

脚の疲れは数日でとれますが、強く心に残った景色や思い出は中々忘れません。

そのように、歴史の中で過去たくさんの方々がこの町石道を通り、今もなおそれが残っているという事実は、その思いを忘れないようにしようという先人の意志の顕れではないかと私は感じました。