タイ上座部仏教視察旅行を終えて
実際に目にした上座部仏教は、私が、そして多くの人が想像しているであろう上座部仏教とは違った。もう少し詳しく述べれば、理想の通りの部分もあったし、そうでない部分もあった。
平成26年6月3日、空路で6時間の道のりの後に到着した、暫定的に軍事政権が支配している仏教国は至って平穏だった。空からは田んぼと畑ばかりが目立ったが、バスでバンコクに近づくにつれどんどん近代国家としての街並みを現し始めた。
バンコク市内の様子は「仏教国」という言葉の響きとは裏腹に高層ビル群と古い家屋が同居し、大量の車が行きかい、まだまだ発展してやるという意思とエネルギーの強さを感じる街並みだった。寺院やそれに類する場所に近づかなければ仏教国だという事を忘れさせるような姿だ。
早朝、その街の中を、袈裟を身にまとった僧侶が托鉢の為に歩き回る。
街のあちこちに、沢山の食糧を用意して僧侶たちの托鉢を待つ人が居る。
街並みは近代的になり、市場主義と資本主義の中でもまだタイの日常的な仏教習慣は生き残り、その習慣の中でタイの僧侶は戒律を守り人々の尊敬を集めていた。
また、ワット・サケットを始め、各寺院では多くの人が熱心に祈りを捧げていた。仏教国タイを実感する瞬間であった。
仏教を支えようとする文化、仏教を頼りとする文化がそこにあった。
しかし、何ヵ寺かめぐる中で僧侶たちの勤行を目にする機会があったのだが、後ろ手をついている者あり、スマートフォンをいじる者あり。
先ほど述べた托鉢についても、ほとんど托鉢に出ないで済ませてしまう僧侶もいるという話を聞いた。また、真実かは解らないが、タイの仏教について調べてみると様々な噂や新聞記事が目についた。
仏教を支える文化、仏教が生活に染みついている環境が僧侶・僧団・寺院を取り巻いているのは羨ましいと思ったが、こと僧侶自身の事になれば、やはり最後は自分自身で身を引き締めるしかない。
この点はタイも日本も、上座部仏教も大乗仏教も変わらず、与えられた自分の環境の中で精一杯自分を研ぎ澄まし、少しでも人の役に立てるよう、誰かを助ける事が出来るように努めるしかない。「日本だから」という言い訳をせずにこれから精進して行きたい。そう強く感じた視察旅行であった。